【凶暴化その後-1】叶わなかった愛猫との再会

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猫を手放してから1週間ほどが経った年明け、妻と娘が千葉から大阪に戻ってきました。

自宅に入ってもいつも出迎えてくれていたはずの猫はおらず、それはわかっていたはずなのですが、それでもやはり、妻も娘もショックを受けていました。

クリスマス、猫を施設に引き取ってもらった後、妻に報告したとき、妻は私にお礼を述べ、「猫が生きてくれていたらそれだけでいい」と言いました。

その言葉は私を少し救ってくれましたが、一番辛く、救われない思いをしていたのは妻だったはずです。

妻は猫と別れるつもりではなく、一時的に姿を見せないことで、凶暴化からの回復を期待する意味で千葉へと発ったのです。

しかしその効果を待つ前に、自分不在の間に猫は家からいなくなっているのです。

別れるための、心の準備もないままに。

私は直接、猫とお別れをしましたが、妻と娘はできていません。

娘と大阪を離れたときはいたはずの何年も一緒に暮らしてきた猫が、戻ってきたときには、もう永久にいないのです。

部屋の景色は特に変わっていないのに、大切なものが欠けているのです。

そんな妻の唯一の希望というか、心のよりどころは、猫を引き取ってもらった有料施設「翔犬社」に猫に会いに行くことでした。

直接顔を合わせるとまた凶暴化してしまうかもしれないから、せめて元気に新しい生活を送っている後ろ姿だけでも、遠くからでもいいから見たいと言っていました。

猫にもう一度会うこと、せめてただ一目見ることを、妻と娘は願っていました。

遅すぎた行動

今となっては、年明けに、すぐにでも会いにいくべきでした。

翔犬社のある兵庫県の奥まで、車で連れていってくれるという弟と私の都合がようやく合ったのが2月に入ってのことで、翔犬社に面会を申し入れる電話をしたときには、もう遅かったから。

猫に会いたいという申し出に返ってきたのは、新しい里親が見つかり、猫は既に施設にはいないという思いもよらぬ非情な現実でした。

ホームページに写真とその報告を少しの間載せていたということですが、既に該当のページは新しいものに更新され、どんな里親に引き取られたかもわからないまま、妻と娘の最後の望みは叶うことなく、ついえてしまったのでした。

まだ一カ月しか経っていないのにどうして…

ホームページに載せたって、連絡くれなきゃわからないよ…

猫の一生分の餌代として少なくない料金を受け取って、1カ月で里親に出すって…

会いにいくって言ってたのにせめてメールぐらい…

嘆きの言葉、割り切れない思いが溢れてきましたが、どうしようもありません。

既に猫を手放してしまっていて、それを決めたのは自分です。

せめて新しい家族のもとで幸せになってくれたら、と思いました。

ただ、このブログを書くようになり、読者の皆さんのくださる様々な情報や、当時はわからなかった情報が出てきている現在だからこそ心配なことがあります。

一度凶暴化した猫は、再発する可能性が高いのではないだろうか。

無責任かもしれませんが、今となっては、凶暴化が再発していないことを願うことしかできません。

猫の凶暴化から4年が経つ現在

猫が凶暴化し、手放してから、もうすぐで丸4年になろうとしていますが、私たち家族それぞれの中で、まだ猫の記憶は薄れません。

娘は当時から大切にしていたロシアンブルーのぬいぐるみを愛した猫の名で呼び、寝るときはおろかどこに出かけるにも肌身離さず持ち歩いていました。

落として失くしてしまうからやめるように言っても、まったく言うことをきかずに持ち歩いていました。

結局、本当に落としてしまい、2日かけて探し回ったけど見つからず、泣きじゃくり、立ち直れないような落ち込みようにまったく同じ型のぬいぐるみをネットで探し出し購入したのですが、それはやはり自分が肌身離さず大切にしていたものとは別のものだからでしょう、そこまでの執着は見せませんでした。

失った最初のぬいぐるみを、飼っていた猫の分身のように思っていたのかもしれません。

また生まれたときからうちのロシアンブルーとずっと一緒だったからか、動物の中ではやはり猫が特に好きで、ホームセンターなどにあるペットショップに行くと、妻と必ず猫のガラスケースに張り付いて、かわいいなーと目を細めて離れません。

「猫、飼いたいと思う?」

と尋ねると、猫は飼いたいけど、私が飼いたいのは「ぎん君」なの、と手放した猫の名を口にします。

思えばうちの猫が凶暴化したといっても、攻撃・威嚇対象は妻と私だけで、娘に対してはいつものかわいい猫のままだったので、凶暴化する姿を見ていたとはいっても娘には恐怖の対象とまではなっていないでしょう。

今でもよく猫の名が口から出てきます。

妻は娘以上に猫好きで、外にいる野良猫でも何でも猫ならば寄っていっては話しかけるような人間なのですが、猫を飼うというようなことは言いません。

何かの節に、飼っていた猫のことが話題に上がっても、心の中に思い出を大切に仕舞っているかのように、堰を切ってしまいそうな感情を押し込めるかのように、あまり多くは語りません。

それぞれが、ぞれぞれの思いを持ち、生きています。

猫が使っていた餌入れは、鍵や時計などを入れる小物入れとして、今も使われています。

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