2013年11月28日の記録
それは2013年11月28日のことでした。
仕事の合間に何気なくLINEをチェックしてみると、妻から連絡が入っていました。
普段は連絡など入れてくることのない妻でしたが、うちの飼い猫が突然凶暴化したとの短いメッセージに、写真が一枚添えられていました。
リストカットのような生々しい傷が何本か走った腕の写真。
大丈夫かと尋ねると、
3歳の娘に危害を加えないとも限らないし、何より恐ろしいので寝室に二人でこもっている、との追加メッセージ。
正直なところ私は、このときまだ、妻の感じている恐怖を理解できていませんでした。
添付されていた写真にしても、傷の度合いが酷いとはいえ、見慣れていたものでした。
うちの猫は4歳のロシアンブルーのオスで、とてもひとなつっこく、怒ってもひとに爪を出したことのないような猫だったのですが、じゃれていて興奮してくると噛みつく癖があったのです。
妻は遊んでいて噛みつかれても、いつも愛おしそうにかわいがっていました。
だからその写真を見ても私は、
「いつものことだろう」
そう思って余り深くは考えていませんでした。
帰宅したが
自宅マンションに帰り、ドアを開けると、いつもの様に、ニャアっと甘えた声で猫が足にまとわりついてきました。
いつもうちの猫は、私が鍵を差し込み回す音や、通路を歩く足音を聞きつけ玄関に待機しているのでした。
それは変わらぬ風景。
しかし続いて飛び出し出迎えるはずの妻と娘の姿はなく、しーんと静まり帰っていました。
狭いのに、がらんとした家の中。
寝室のドアをそっと開けると、こうこうと点いた灯りの中、ベッドの上で妻と娘が布団にくるまっていました。
「ただいま」
と声をかけると、ひそひそ声でおかえりと返してきます。
「怖がりすぎやで、大丈夫やと思うよ」
私はまだそのとき、妻の話をそれほど重くは受け止めていなかったのでした。
だってドアの向こうで猫がにゃあんと甘えた声を出しているのです。
開けてよー、いつもと同じ、そう言っているのですから。
「何があったの?」
まだ信じきれず、今思えば慰めにもならない間の抜けた微笑みを浮かべた私に、怯えた表情で妻は事の始まりを話し始めたのでした。
凶暴化のきっかけ
妻の話はこうでした。
猫がどう凶暴化したのか?
とにかく妻の顔を見ると威嚇を始め、目が合うと飛びかかってくるとのこと。
しかもしつこく、振り払ってもしがみついて食いつき、逃げても追いかけてきて手加減なしで噛みついてくる。
ただ猫自身も怯えているのか、おしっこをいたるところでちびっているとのことでした。
なぜ凶暴化したのか?
洋服を取ろうと妻が寝室にあるクローゼットのドアを開けたところ、その隙を突いて猫がクローゼットに侵入したらしいのです。
そのことに妻は気づいていなかった。
そしてクローゼットのドアを開けたまま別の部屋に行き、しばらくして戻ってきたところ、大きな物音を立てて猫が落下してきた。
天井付近まであるクローゼットの一番高いところにある棚の上、置いてあった阪神タイガースの応援バットで猫は遊んでいて、そのひもに絡まった。
絡まった紐をほどこうともがいていてそのまま落下。
紐が絡まっていたから体の自由がきかず、着地も失敗。
落下途中から着地まで、クローゼットのドアや床とメガホンがぶつかる音が響いていたそうです。
猫にとって、恐ろしい体験。
その落下した直後に妻が駆けつけた。
そしてもがいている猫に絡まった紐をほどいてやった。
そのときはまだ凶暴化していなかったと言います。
直後に甘えてきたりもしたそうです。
しばらくしてから、突然、猫の態度が変わったそうです。
妻はインターネットを使って調べました。
似たような事例がいくつかあり、それらの情報を総合すると「転嫁」ではないかということでした。
落下したときに猫は味わったことのない恐怖を感じた。
そのとき、妻の顔が目に入った。
お前のせいでこうなったんじゃないのか?
ということらしいんです。
まさに「責任転嫁」というやつです。
でもそういうことが、実際まれに起こっているそうです。
後で動物病院に相談に行ったのですが、同じことをおっしゃっていました。
これが恐ろしい猫の凶暴化のきっかけでした。
嘘のような本当の話です。
阪神タイガースのメガホンをあそこに仕舞っていなかったら…
何度思ったかわかりません。
突然、豹変する愛猫
妻から事の顛末を聞いているときも、ずっと猫は鳴き続けていました。
ボイスレスキャットと呼ばれるロシアンブルーですが、うちの猫はそうではありませんでした。
開けて~、と言っているのでした。
その普段通りの甘えた声音に妻は期待しつつも、とりあえず娘と一緒に布団をかぶりました。
私は寝室のドアを開けました。
猫がそろりと入ってきます。
しばらく様子を伺った後ベッドの上に軽快に飛び乗ると、布団を被った妻のにおいを嗅ぎ、そのまま上に寝っ転がり始めたのです。
やっぱり取り越し苦労だったな、私は思いましたし、妻も恐る恐る布団をめくったのでした。
その瞬間、リラックスしきっていたうちの猫が突然、瞬時に豹変し、しゃああああああっと聴いたことのない声を出して妻を威嚇したのです。
慌てて妻は娘を抱えて布団に潜り、突然のことに私はまだその光景をうまく飲み込めていませんでした。
私もまたショックを受けていたんだと思います。
猫が余りにも恐ろしい形相で唸っているので、妻から引き離そうという発想はまったくなく、とりあえず私は部屋のドアを開放したままダイニングに行きました。
ダイニングとかっこよく言いましたが、ただの台所です。
私たち家族の住まいは築25年以上の古い賃貸マンションで、間取りは2LDKです。
頭に入れておいていただけると今後この体験談をイメージしやすくなると思います。
さていつの間にか猫は妻のそばから離れ、ダイニングの隣室、テレビやパソコンを置いてある家族が家での時間の大半を過ごす部屋に移動していました。
さっきまでの形相が嘘のように、いつも通り私に甘えてきます。
だから私にはまだ、どこかで余裕がありました。
威嚇されていたのは妻だけだったから。
寝室のドアを閉め妻に中にいるように言うと、私はビールを片手に、普段は妻がしてくれる夕食作りに没頭したのでした。
威嚇対象は妻だけ
いつもより大分遅い夕食ができたことを妻に伝えると、恐る恐る妻と娘が部屋から出てきました。
ちょうど良かったんだと思います。
そのとき猫は、冷蔵庫の上に身を潜めていたんです。
だから妻と娘が食事の並んだダイニングに入るや否や、またもや豹変したのですが、飛びかかりはしなかった。
わおーんと今まで聴いたことがない甲高い声で鳴き、シャアーっと牙を剥いての威嚇を繰り返していました。
狼の遠吠えのようで、落ち着かないながらも何とか家族全員食事をとることができたというわけです。
その後、猫が隣室のテレビを置いている和室に移動したのを見て、私は部屋の襖を閉めました。
やはり猫の方も怯えているらしく、学習机の下に隠れ、目だけでこちらの様子を窺っていました。
しばらくして襖の隙間から和室の中を覗いてみると、猫も向こうから襖の隙間をじっと見ているのでした。
その夜、先に妻と娘は寝ました。
和室に入ると、猫は普段通り私に甘えてきます。
なんだったんだろう?
どうしてもそういった気持ちになりました。
威嚇対象は妻だけで、私にも娘に対しても猫は普通に接していましたから。
妻の感じている恐怖を実感していなかった。
だから私は寝るとき、いつも通り、寝室のドアを開放して寝たのでした。
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